原金網物語 1971年~1994年頃
原金網は、1927年先代の社長である原義雄が創業し、原一族でメッシュベルトを始めとする新製品の開発を行い事業を拡大してきました。原金網物語ではその様子を紹介しています。
1971年-1994年代頃の原金網
金網の事業も軌道にのり、実績が上がり始めました。そして1971年(昭和46年)に広い事業所にという事で住吉区の遠里小野に移転したのでした。 ちょうど 大阪万博の翌年にあたり 国際化の進む中で原金網も新たな一歩を踏み出す時期と場所だったのかも知れません。
すこし以前ですが、時代の象徴とも言える仕事が舞い込んできました。それは「インスタントラーメン」の製造装置のメッシュベルトです。 今でこそ「インスタントラーメン」の製造会社は数社しかありませんが、当時は国内に数百社もあったのではないでしょうか?
インスタントラーメンの工程はこうです。小麦粉と水等で混ぜシート状に仕上げ細切りしてウエーブをつけた麺をメッシュベルトにのせ蒸し、次に一食ずつ区分したフライヤーに入れ植物油で揚げる。最後に冷却して薬味(具、スープ等)を入れ完成。蒸すにはメッシュベルトであれば蒸気の通りがよかったのです。そして最初のユーザーはなんと農家の庄屋さんの家でした。納屋でラーメンを作っていた所にメッシュベルトを納入しに行き驚いたものでした。